広島仏壇
の歴史
BUTSUDAN
HISTORY

広島における仏壇製造の歴史について触れておかなければならないことは、日本最大の宗教は仏教であったということです。仏教の中にも多数の宗派があり、その中で最大なものは13世紀に親鸞聖人によって始められた浄土真宗でした。
浄土真宗が広島で広まったのは親鸞聖人の高弟明光上人の法弟が光照寺・照林坊等を開き布教したのが始まりとされ、さらには毛利氏の保護により拡大していきました。この頃織田信長と石山本願寺が戦った石山合戦において、毛利氏と呼応して多数の門徒が本願寺救援に出陣し、大きな手柄を立てました。このような背景もあって浄土真宗が広島を中心として定着していきました。
こちらでは広島仏壇の歴史を史実と絡めて紹介いたします。

  • 1619

    お仏壇の始まり

    元和5年(1619年)、浅野長晟公が紀州から転封されたときに随従してきた職人41人の中に、位牌細工師、絵物細工師、錺金具師等が含まれていた。この職人たちの技術が広島の仏壇製造にいかされた。
    そして享保元年(1716年)藩主に男子が誕生するよう明星院(広島市)に祈祷堂を建立するため僧暾高が京都、大阪に出向いて、高度なお仏壇お仏具の製造技術を学んで帰り、地元の工匠に製作させた(「知新集」1822年成稿)。享保年間にこれらの技術が蓄積され、お仏壇の製造技術が確立したものと思われる。

  • 1635

    統制によるお仏壇の普及

    徳川家康は江戸に幕府を開くと諸宗寺院それぞれに法度を下して統制を加えた。キリスト教の禁制を強化し寺檀制度を定め、仏教信者になった場合にはこれを証明する寺請証文を寺院から出させた。島原の乱後は全国の人民をいずれかの寺院の所属とし、その寺院の檀家であることを住持によって証明しなければならないようにした。こうして宗旨人別帳がつくられ、お仏壇なき家は邪宗門として告発されることになった。設置が強制となり、全国津々浦々にお仏壇が普及していった。
    この時代広島では、地元の大工や渡り職人によるお仏壇らしきものの製造が行われていたようである。江戸時代末期には当時の堀川町、チギ屋町、銀山町に産地問屋街ができ、旧山陽道に面したこの付近は商人宿と仏壇問屋街となった。寛文(1661年-1673年)、嘉永(1848年-1854年)、慶応(1865年-1868年)の頃創業の仏壇店が、6店舗程確認される。(「広島商工案内」昭和4年、広島商工会議所発行より)

  • 1868

    広島仏壇の起源

    明治時代になり、江戸時代に行われた商業上の統制が次々廃止された。広島のお仏壇も大量輸送手段として、大阪・京都方面に紹介された。広島のお仏壇としては商品名が浸透していないため大消費地大阪への納入は大阪の製品として出荷する必要があり、広島仏壇の形がこの頃出来上がったものと思われる。
    大消費地大阪へ出荷が活発となり、明治10年から30年頃にかけて多数の仏壇問屋が創業している。明治20年、広島仏壇卸商組合が誕生したことからも仏壇製造産業が広島の大きな産業となりつつあることがうかがえる。また量産のため、ある程度の寸法の標準化が行われたようである。広島仏壇の生産量の統計は、現在分かっているものは、大正元年生産量3,000本、金額60,000円(「広島地名索引」編集者 広島湾要塞司令部)である。

  • 1926

    広島仏壇の拡大

    大正末期から昭和初期にかけての製造現場は徒弟制度により、木地、宮殿、欄間、彫刻、卓彫刻、塗り金箔押し、蒔絵、金具の技術者達は数人の弟子を抱えて住み込ませて仕事を教えていた。これらの技術者の仕事場は堀川町、チギ屋町、銀山町、の産地問屋街の周辺で、竹屋町、平塚町、鶴見町、に集中していた。この頃の生産現場の技術者の数等から見て広島仏壇の最盛期であったと思われる。

  • 1939

    戦争と、後世に伝わる広島仏壇

    第二次世界大戦が始まると仏壇製造の技術者達も戦地に駆り出された。そして昭和20年8月6日、広島は原子爆弾により廃墟と化し多くの技術者を失った。昭和22年頃になると戦地に駆り出されていたり、疎開したりしていた技術者達が戻ってきた。10社余りで広島仏壇卸商組合が再開され戦前の取引先の開拓に動き始めたが、戦後の混乱の中ではお仏壇の注文はほとんどなく原材料も少なかったことから、広島の仏壇産業は苦境に追い込まれる。
    昭和25年朝鮮動乱の勃発による産業界の特需のためお仏壇の需要も急速に盛り上り、仕事を求める多くの若者達が弟子となった。現在の熟練技術者はこの頃に弟子入りした者が中心である。
    昭和49年伝統的工芸品産業の振興に関する法律が施行され、広島仏壇を通産大臣指定伝統的工芸品とする動きがあった。同年広島仏壇卸商組合を母体として広島宗教用具商工協同組合が設立され、昭和53年2月6日広島仏壇が伝統的工芸品と指定された。