会社概要

日本一円に拡がる三村松のネットワーク。日本の伝統文化を守りながら着実に前進を続ける企業であり続けます。

会社概要

社名 株式会社三村松
代表者名 代表取締役 三村邦雄
創業 慶応元年(1865年)
会社設立 昭和33年(1958年)5月
自己資本 45億7000万円(自己資本比率93%)
売上高 43億534万円(2016年4月)
従業員数 368名(男213名 女155名)
事業内容 宗教用具の製造・卸・小売り、寺院の設計・施工
事業所
本社/
広島市中区堀川町2-16(ぶつだん通り)
直営店/
和の工芸館、立町本通り店、寺町本店、楽々園本店、
八木本店、呉本店、西条本店、神辺グラン仏壇館、岩国本店
物流センター/
発送センタービル、銀山配送センター、物流卸センター
工場 広島(南吉島)、鹿児島、宮崎

指定店

中国税理士協同組合 / 広島県医師協同組合 / 広島県歯科医師協同組合 / 広島県薬剤師会 / 広島弁護士協同組合 / マツダ / 広島電鉄 / 広島ガス / 中国電力生活協同組合 / 中電工 / 本願寺広島別院 / JA(農協)・JA全農 / 三菱厚生指定店会 / 広島県庁共済組合 / 国家公務員共済組合 / NHK共済会 / 広島市職員互助会 / 広島県学校生活協同組合 / 広高生協 / 郵ゆう会(旧郵政弘済会) / 広島市漁業協同組合 / 各宗派寺院

所属団体

■広島宗教用具商工協同組合
■一般社団法人 全国優良仏壇専門店会
■全日本宗教用具協同組合
■広島仏壇卸商組合
■全国仏壇製造卸懇話会 (主要メーカー8社)
■広島経済同友会
■広島商工会議所
■広島経営同友会
■中国地域ニュービジネス協議会 (NBC)

三村松の歴史

初代 三村屋 嘉助(かすけ)

慶応元年、当時台屋町と呼ばれていた現在の広島市南区京橋町に古くから住んでいた「三村屋」嘉助(かすけ)は、チギ屋町、現在の広島市中区堀川町で、副業として仏壇仏具の商いを始めました。

二代目 三村 元次郎(もとじろう)

二代目元次郎(もとじろう)の時代に、副業だった仏壇仏具の製造卸を本業としました。
"ほとけもと"と呼ばれた元次郎は、孤児を引き取って育てるなど社会奉仕家でした。以後、中興の祖となる三代目に引き継ぎました。

三代目 三村 松次郎(まつじろう)

それまでの事業を拡大し、金仏壇の一大生産地として全国にその名を馳せる広島仏壇業界のリーダー的地位を確立しました。現在の株式会社『三村松』の社名は、この時代の『三村松次郎本店』の名前に由来しています。

四代目 三村 繁己(しげみ)

時代は戦時下へと移り、1945年8月6日朝、広島に原子爆弾が投下され、原爆により店も自宅も全てを失いました。繁己は多くの職人さんたちの再興の願いを受けて逆境を発奮材料に気力を奮い起こし、ゼロからの再出発に立ち向かいました。

五代目 三村 邦雄(くにお)

昭和45年(4代目繁已当時64歳)入社。その頃は高度成長期、住宅建設ラッシュとインフレの波に乗り、昔ながらの職人任せの製造方法を、先に近代化が進んでいた家具業界を手本に、一貫生産を目指し、昭和45年に広島工場、昭和47年卸センター5階建てビル新築、昭和48年鹿児島工場の操業開始にこぎ着け、当時の「品不足」を一気に解消しました。

さらに、昭和51年からは、岩国駅前店の開設、鹿児島工場増設、5階建て本社ビルを新築するなど、製造・販売・物流を拡充させました。これにより、それまでそのほとんどが、職人による手工業だった仏壇製造業を、近代的な"お仏壇メーカー"へと飛躍的な転換を実現させました。

同年7月28歳で社長就任し、平成元年に社名を『株式会社三村松』に変更、寺町本店を開設し、その後も平成2年、宮崎工場建設、西条本店、楽々園本店開設など、西日本一円に拠点を拡大しました。
平成16年には観音物流センターを開設し全国各地への配送業務の円滑化を図り、平成18年にはモダンシリーズ専門店として立町本通り店、平成20年には備後地方初となる業界最大級の店舗神辺グラン仏壇館を開設しました。

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